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spangled blengin
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Iambic 9 Poetry


ブログを書くのってはずかしいことだなあ。
# by blengins | 2010-02-09 21:14 | work
フーガの技法/海の映画
もう終わってしまったけれど
東京都写真美術館でやっていた
石田尚志のアブストラクト・アニメーション、おもしろかった。

http://www.geocities.jp/office_ishidatakashi/japanese_top.html

アニメーションに興味があって、最近
いろんな人の作品を観ているのだけど
石田氏の作品、ずば抜けておもしろい。

考えてる量とか深さとか計算とか適当さとか
そして実際に手を動かす量とか深度とか感覚的なこととか
はんぱないです。

アートのアニメって気を抜くと
「わたしってこういう世界が好きなんですよ〜」といった
内側へ閉じた世界になってしまうことが多い気がするんだけど
(自分へ言い聞かしてる感大です。。)
石田氏の作品は全力で世界に向けて開かれていたなあ、と。

すごいよなあ、あんなに線とかグチャグチャしてんのに。
次にどうなるんだろう、って先が読めなくてワクワクした。
むちゃくちゃおもしろかったなー。

と、いうことに気づいたのが会期終了2日前でして。
もう終わってしまいましたが
機会があれば皆さんどこかで観るといいと思いますよ。
(次ドイツかどこかで展示予定だそうですぜ)

(話とんで、森美術館で開催中の『医学と芸術展』も
観に行きたいのだけど、六本木に行くのが億劫でしょうがない。
それだったら遠いけど横浜や茅ヶ崎に行くほうがなんぼか気が楽。
六本木とは、私にとって渋谷の駅前交差点ぐらい
苦手な場所だなあ。だもので、たとえお金もってたとしても
ヒルズとかに住もうと思える人の感覚がどうにもよくわからない。
まあどうでもいい話です)

# by blengins | 2010-02-06 09:52 | watching art
好きだ、
とゆう映画をみたよ。
西島秀俊のディープ・フォロワーかつ
宮崎あおいのセーラー服萌えのTさんからDVDお借りしました。
大人っていやらしいね。
ありがとうー。

なんとも繊細で誠実な恋愛の映画だったのだけど、
しかし実際の現実世界で、あんなにも重く
人が人に「好きだ、」といわざるを
得なくなる事なんてあるのかしら?
と、観終わってしばし思い悩んでしまった。

中学の頃とかならわかる。
純粋に恋愛だけできるのって
そのくらいの年齢までと思うので。
それが大人になってからもだと、
それってすごく
恐く、重いことなんじゃないでしょうか?

だって、もし今誰かに例えば「好きだ、」なんて
まーおこがましくも切羽詰まった顔でいわれたとしましょう。
それは、「ゆえにあなたを呪い殺します」
といわれたのと同じではないかと。
私だったらおそらくその場でそっこう
「すいませんでした!!」ってなぜか謝って
ダッシュで逃げると思う。
そのぐらい恐いです。好きって。

そしてそういうピュアな想いが、
古今東西、小説にしろ映画にしろ
行き着く最高の成就の果てって「死」だし。

こどもはだから、恋愛ができる。
こどもは「死」にすごく近い場所にいるから。
そのへんは吉野朔実せんせいの
『少年は荒野をめざす』なんかに
丁寧に描かれていてすばらしいです。
あと楳図せんせいの『わたしは真悟』も!美しい!

夏目漱石の『門』なんかだから、
あれは駆け落ちをしてまわりを不幸にしまくって
世間から逃げてきたカップルが、大恋愛の果てに二人だけで
何に直面したかって話で、そしてそれは
ただの「生活」だった、という悲しいお話で、
恋愛が目指す場所はやはり
「日常」ではなく「死」なのだろうなー、と。

『髪結いの亭主』なんかは、成就してましたね。
あれは旦那を愛しまくった女性が
幸せの頂点で自殺をするという美しいお話。
恋愛の観点からいくとこのうえなくハッピーエンド。

なんかよくわからないけど、
久しぶりに純度の高い恋愛映画を観たなー、と思ったのです。
そして今、この現実世界で恋愛をするには
それなりの才能が必要なんだろうな、とも。

# by blengins | 2010-02-02 14:37 | diary
花と虹


某日。
府中競馬場。
空は広く。芝は青く。馬は美しく。

が、屋内の淀んだ空気がものすごかった。
ハローワークに似た空気を感じる・・・と思ったら
すぐ近くに実際のハローワークも。

しかし馬が走りだすや、それまで澱み停滞していた
会場の空気がカッ!!と、
ハツラツとしたものに、変わるのが肌でわかった。
ゆけ、ゆけ、ゆけーーーーーっっっっっ

あの昂揚感はすごい。
馬、かっこいいし。

その昔、知り合いに新興宗教の集会の現場に
つれてゆかれたときの感じに似てるなー、とぼんやり思った。
いろいろなものを抱えながら集まる、何かを信じるたくさんの人々。
それを吹き飛ばす、かっこいい神様。かっこいい馬。
実際に神道とかでは馬は神事に欠かせない動物だしね。

府中。
風邪気味で遊びにいったら風邪、悪化したような。
この冬3回目の風邪。つらい。


某日。
さいきん夫が私の部屋の本棚をゴソゴソあさっては
コツコツいろんな本を読んでいるような気配。

ある日「どんなの読んでるの?」と聞いてみたら
「佐藤愛子の『私の遺言』。すっごい面白いね!!」

おお。骨太なリアリストとしてバリバリやってきた
小説家の佐藤愛子さんが、50代に入って家を買ったら
いきなり霊感体質になってしまい、
美輪さん江原さんなんかに相談もしながら
その後、実際にめんめんとつづいてしまう
霊との奮闘を記した一代叙事記。

なんてものを、夫が面白く読んでいようとは。

その本の中に、神様なんだけど
人間として生きたという 笑
ものすごい霊感の強いすごい人なんだけど
ほんとうに普通〜で、なんのオーラもない、
のんびりした小さなお爺さんが出てくるのだが。

その人を指して
「あの人さ、村上春樹の『海辺のカフカ』に出てくる
 中田さんだよね!」と言ったら、
「そうそうそう、俺もそう思った!
 あのお爺さんが死ぬとことか、
 すんごい普通でやさしくて、泣いた〜!」と
夫も共感してくれて、とても嬉しかった。

やっぱりほんとにものすごい人は、
ものすごい、すごそうじゃない人。
っていう幻想なのかな?
を、私はもっているみたい。おそらく夫も。


某日。
楽しみにブログを拝読している
五嶋さんのとこですばらしい文を読んだ。

http://zenrahanra.exblog.jp/12737973/

朝一番にこれを読んで、元気になった。
人間にうまれてよかった。やっぱおもしろいもん。
て笑えるような。
中島らもなんかも、こういうことよく言ってた。
崖っぷちまで行って、こういう
ちゃんとしたこと言える人に弱い。
# by blengins | 2010-02-01 11:56 | diary
旅にでたい・・・という気分の朝は
友人の友人ということで知った
写真家およびエッセイストのご夫妻
旅音さんのサイトを見にいきます。

http://www.tabioto.com/

写真がもうほんとにきれいで、うっとり。
ブログに記載のあった「今年は石灰質の水場へゆく!」という
かなりマニアックな決意もすてきです。

そして旅音さんのところで知った映像家の方の作品も。

http://vimeo.com/user2095414

' Traveling Denim ' 、ずるいなあ〜
女の子のデニムってクールでかっこいい
十代の頃に見てたら影響うけまくったことでしょう。

さて そんなわけで「旅にでたい」と思いながらの
1日のはじまり。
今日は受注おえかきの日です。
旅っぽくのんびりしたものにしようと思います。



# by blengins | 2010-01-27 10:25 | diary
1月のライオン
わりと長くアメリカに行っていたらしい
友人から土産が届いた。

ヴィクトリアズ・シークレットのボディー・ウォッシュと
花のお茶がたくさん。
おお、女子の香り!

香りがものすごく外国で、うおおおおおおお
と、盛り上がって大変である。
かいでいると、まるで旅行しているような気分に。
土産って、そういうものだよね。
その人が行った土地のひとかけらを、
旅のかけらを、「はい」って贈るもの。

しかもその花のお茶の香りは、
贈ってくれた彼女のイメージにぴったりの
やさしくてセクシーな香りなので
かいでいると、彼女とお茶でもしている気分。
で、気づいた。

そうか、彼女と一緒にいるとき
私は旅をしているような、外国にいるような、
ちょっと自由な気分になるんだな、と。

きっとこれを今頃自宅でブサイクな眼鏡でもかけて
読んでいるであろう君よ。
また近いうち、会おうね。ありがとう!


それとはまた別に、友人から遅い年始ハガキというか
寒中見舞い手紙もいただく。

封を開けると、気味のわるい毛皮付きカードが
もっさ〜!ざわざわざわ!と出てきた。
たたずまいが生き物っぽくてなんだかすごく・・・
イヤな感じ。
人がイヤがりながらも笑うポイントを
よくわかっている彼らしい贈り物。

なにかイヤな贈り物返しをしたいところだ。
このあいだ広尾の外国人滞在者向けスーパーマーケットで見かけた
巨大マフィン30個パックとか突然送りつけようかな。
もらってもほんとに困るだろうが。


話はまた変わる。
テレビからポリスのライブ映像が流れていたとき。
ギターの泣きのソロが流れ出すや
夫が静かに「このギター、布袋のギターの音と同じだ・・」
とつぶやいた。

夫は幼少の頃、ディープなBOØWYファンだったのである。
「へえー。今どんな気持ち?」と何気なく聞いたら
「すごく・・・なつかしい気持ち・・」
とはずかしそうに教えてくれた。

思わぬ場面でカノジョの昔つきあった男の話を聞かされたようで、
たいへんビミョウな気持ちになる。


話はだいぶ変わって、最近なんだかまた思春期である。
でも思春期なのがうれしいので、
「うれしい」と思えるだけもはやオバサンなのではあるが
なにはともあれ悩んでもがいてと、楽しい日々だ。

春が近いせいもあるだろう。
春は毎度のことだが頭がおかしくなる。
これから芽吹く植物たちの濃厚な気配やおしゃべりが
始終聞こえるようだもの。
わかりやすくはじけられない人間にとっては
春ってほんとに大変な季節と思う。
この不安な感じが大好きなのだけど。

# by blengins | 2010-01-25 13:54 | diary
婆さんの夢を見た
人の夢の話はおもしろくないという。
なのであくまで以下は私に向けて、私が今朝見た夢の話を。

夢のなかでの私は体の小さな品のいい婆さん。
家族から離れて、小さな別荘に一人で、
2鉢の植物(実際私が世話しているやつら)とともに
暮らしている。
家は清潔なのだが、がらんとしていて暗くさびしい。
だからいつも婆さんは庭に椅子をだして、遠くの空を眺めながら
植物に話しかけてはお茶を飲み、生きている。

そうしたある日、私(婆さん)は突然猛烈にさびしくなって
暮れなずむ庭先でワアワアワアと号泣しはじめる。
そして、決意する。
「私は人間だ。私は植物じゃない。私は人と暮らす!」と。

婆さんはおもむろに植物を置いて、
なじみの布団だけズルズルと持って、
道なき道を進みはじめる。
車にひかれそうになる。雨にもふられる。
だが婆さんは、布団に時にくるまりながら
ゆっくりと、だが確実に
家族の住む土地へと歩み進んでゆく。

やがて、大きな明るい家に着く。
中からこどもたちの元気な声が聞こえる。
ドアを開けると、まずちいさな利発そうな男の子。
私の甥だ。(夢の設定でいくと孫のはずだが、
はっきりと私は彼を甥だと思っている)
私を見てうれしそう。
頭をなでなでしてほっぺにチュウをしてあげる。
次に、泣いているあの子は私の姪だ。
目にチュウしてぎゅっとしたら泣きやんだ。
ニコニコしててかわいい。

息子の嫁がいたのでお辞儀をする。
(彼女は実際の現実世界の夫の弟の嫁さん)
「あたしは今日からここで暮らすことにしたよ。
 だから、よろしくたのみます」
横に私の息子(私との関係は浅そう)もいるが、
この家の本当の主人はこの女だから、
だからまずはこの女に挨拶だ。
そうして、ポカンとしてる私の息子どもにはこう指示を与える。
「あたしのあの家に置いてきた植物2鉢と
 残りの布団を持ってきておくれ。大至急だよ」

息子の嫁は不満があるような顔をしているが何も言わない。
まあ、おいおい話は聞くとしよう。

2人のこどもたちは嬉しそうに走り回っている。
おいで、こどもたち。
あたしのこれからの人生はあんたたちに捧げよう。


こういう夢だった。
あの婆さんは確実に私だった。
あんなふうな人になるんだろうか。
一見人嫌いの偏屈な、でも愛情にあふれた人だった。
起きたときとても気分がよかったので、
そしてなにかとても重要な夢のような気もするので、
記しておく。




# by blengins | 2010-01-18 16:39 | diary
Igloo


I am in an igloo.
My dad, my mom, my grandmother,
my sister, my brother and my black cat are also in the igloo.
I touched my black cat's hand. It was very cold.
My hand was very cold too.
Everyone's hands were cold.

わたしが怪獣だった頃に書いたはじめての作文は
イグルー(イヌイットの住む家)に
私と私の家族と私の猫が住んでいる、というものだった。
当時6歳。作文の中のこどもは、みんなの手をさわって
「つめたい」と感じている。それだけの話。
でもすごく好きな話。

カレン・Oがこどもたちと一緒に歌ってる歌、いいなあ。
『かいじゅうたちのいるところ』みにいくぜったい。
あと『グワシ!楳図かずおです』も。



すこし遠い近所の(?)パン屋で買ったパン、おいしかった。
マスターが両耳にピアスをしているらしい。
ヒッピーかパンクかゴアか、わからなかった、と夫。
いろんな人がいろんな店をやってるね、とおもしろく話す。
店に行くって店をつくった人の脳内探検をするようなもの。



なぜか渋谷タワレコだと勘違いして行ったら、無かった。
dさんのジャケ看板がバーン、と大きく出てるのは
HMV渋谷店だった・・・。
家に帰ってネットで調べてわかった。

渋谷タワレコでは「Jクラブ」のコーナーに
たくさんdさんのがあった。
それらをさっと眺めてから、女子トイレにたたずむ
ペンギンの写真だけ撮ってさっさと帰った。

日曜の渋谷ー青山間を歩く人々は
貧乏人と富裕層とにはっきりわかれてる。
そういう見方にならざるを得ない空気がある。
お金を得ようとする人とお金をつかおうとする人。

都心の、雰囲気だけでおいしくもなんともない
高いカフェメシなど食べたくないので
(選べばちゃんといいとこはあるのは知ってます)
ファーストフード店でポテトを食べながら
あと30年もしたら60歳以上の人間が
人口の半分を占めるようになる、という話。

となりのカップルは頼んだハンバーガーがやってこない、と
イライラしてる。そのあと
やっとやってきたバーガーを受け取ると
店員の顔を見ずに、でも聞こえるような小さな声で
嫌みをいってた。店員はそれをしれっと流してた。
日曜の都心は大嫌いと思う。



10年以上、夫といっしょにいるが
彼が私を見る目は思っている以上に冷静なもののよう。
そのことがわかるなんでもないやりとりがあって
瞬間、背中がヒヤリとした。
どんな関係でも、気はぬけないもの。

# by blengins | 2010-01-17 12:17 | diary
artificial sweetener


またさわいでおこう。
daisuke tanabe 「before I forget」リリースされました。
おめでたい!おめでとう!

やあ、アマゾン飛脚便はすごい。
予約しておいたら発売日に届きました。

今さっそく開けて音を聞いております。
すげえかっこいい!
聞いてると頭んなかでアニメつけたくなるんだよな〜
物語を感じるのです。

ジャケの色みもいいかんじです。
よかったよかった。皆さんも聞くといいですよ。



# by blengins | 2010-01-13 16:03 | work
You Were There With Me



バナナ
ガストのコーヒー
ジェフリー・ブラウンが元カノとヨリを戻したと聞き
ものすごくがっかりする
ジェフリー・ブラウンには永遠に彼女にふられつづける
うっとうしい人であってほしかった
http://www.jeffreybrowncomics.com/
(あっでも病気になってたっぽい 大丈夫かしら・・・)
第二東京タワー
今まで生きてきた中で一番美味いインドカレー
キャラメルのババロアとコーヒー
合羽橋
スコーンとブルーベリージャムとホットジンジャー
浅草の商店街はロンドンのアフリカン・マーケットに
似ていると思う

アサリと菜の花のパスタ
ブルーチーズ
エビスの小瓶



バナナ
渋谷、中目黒の古着屋でコートを買う
「第二の皮膚といってもいいくらい似合う」と
友人にいっていただく
マルガリータとアラビアン・ピザとジンジャーエール
蜜イモのタルトとミルクティー
ふさ猫
山に登るキチガイじみた人々の話
ひきにくコロッケ
トマトとかぶのスープ
赤ワイン



クピドのバナナキャラメルパイ
コーヒー
昨夜のコロッケとごはんとワカメと玉ねぎの味噌汁
トウキョウソナタ
すごくおもしろかった
音楽がよかった
http://kazumasa-hashimoto.net/
やはり今週末のnakabanさんのライブ観にいこうか
どうしようか

ここ数日の記録。

どこぞに住まう年老いた獏に
感謝の気持ちをこめてこどもたちが七草粥を与えるという
映像がテレビで流れてた。

年老いた獏は、動物にも白内障があるのか
ほぼ白眼で、異様な迫力。
「かわいらしい獏に」とテロップが流れるが
どう見ても「かわいい」よりかは
「おそろしい」が当てはまるものすごい形相の獏を前に
明らかにこどもたちはドン引き。

そんな腰の引けたこどもらから、
奪うように、年老いた獏は
ゴクゴクガブガブと七草粥をむさぼるのであった・・・
という、素晴らしい映像をこのあいだ見たのだけど、
はてあれはどこの園での出来事なのだったかしら。

http://woman.excite.co.jp/News/society/20100107/Ntv_20100107038.html

で、思い立って調べたらすぐ出てきた。
アップされてる写真はこわくない。

# by blengins | 2010-01-12 18:48 | diary
そろそろ発売なのでは


さわいでおこう。
daisuke tanabe 「before I forget」
発売予定日は1月13日とのこと!

今でてるタワーレコードのフリーペーパー
「bounce」にレビューが載ってました↑
(しみじみうれしい〜)
おお、斜め下に相対性理論。

私も、もう既にアマゾンで予約済みです。
届くのが楽しみであります。

http://cosmopolyphonic.podomatic.com/player/web/2010-01-06T05_39_06-08_00


# by blengins | 2010-01-12 18:12 | work
黒い鳥2羽 クチバシは紅


快晴。
はじめての人とはじめて電話で話す。
思ってたより可愛らしい声の人!
秋田の人なので、話してたら旅心がムクムクとわいてきた。
東北・・・雪・・・イーハトーヴ・・・酒・・・
おもいがけない縁でつながった、秋田の彼女と私だ。

近所の公園をぐるりと散歩。
するとある場所で、人だかり。
このあいだもいたけど、まだいるんだ。
つがい者の、大きな黒鳥2羽。
今日は、互いの毛繕いとかしてた。仲いいな。
動物にしろ人間にしろつがいって、見れば見るほどふしぎ。
離れないよね。ほとんど。それがとても。
はっ。今はなきイエモンの『離れるな』。
タイトル死ぬほど好き!!吉井さん!お元気ですか!
なんて突然思ってみたり。

人だかりをぬけた場所で
池を見つめてボーッとしていたら
マスクをつけた女性が近寄ってきて
「黒鳥はまだいますか?」と聞かれた。
「いますよ。あそこの人だかりの場所に」
と指さして答えたらいそいそとそっちへ行ってた。

よく見ると人だかりとは関係なく、
マイペースに釣りをしてる人もいろんな場所でちらほら。
若い女の子もいた。
若い女の子で、ひとりで、釣り、というだけで
友達になれそう、と勝手に思う。
でも特に声はかけずに帰ってきた。

# by blengins | 2010-01-06 18:04 | diary
佐伯チズ専用パフ


えつこちゃん(7歳)が描いてくれたトラです。

今年は風邪っぴきだったため
ほとんど年賀状をだせませんでしたが、
こんな無精な私へも年賀状をくださった方へは、上の
7歳児のトラを遅ればせながら送らせていただきました。

いただいた年賀状は、毎年たのしみに
見させていただいていますが
今年はとくにAさんからいただいた
グンニャリしたプラスチック素材にお多福がプリントされた
むりやりなハガキ(と説明してもわかってもらえないだろうな)
には笑わせていただきました。
手に持った瞬間「きもちわるっ!」と
おもわず床にたたき落としてしまったぐらい
いやな触感でした 笑。ありがとう。

それとイラストレーターの坂本千明さんからは
再び今年も氏の版画のコピーが刷られた
豪華カレンダーをいただきました。
すずしげでさみしげで、いいなあ。かっこいいなあ。
と、しみじみ思いました。
熱のある頭にほんとうに気持ちよかったです。ありがとう。

話はまったく飛びます。

「佐伯チズ スキンケア専用パフ」

という名前のパフ(実質ただのパフ)を
ここ1年ほど私はつかっているのですが、
それを見るたび夫は

「佐伯チズ専用パフなのに、えっちゃん勝手につかって
 いいのだろうか・・・」

と、ひそかに日々不安になっているそうです。

うん・・そりゃ確かに
佐伯チズの目を盗んで彼女の物を使うのはあんまりよくないね。
それに知らなかったけど、あのパフを買った人のところへ
あの紫の頭の小柄な人は、しょっちゅうやってきてたんだね。
私がみていない間にうちの洗面所にも。
あの大きなリボンをつけた人が・・・パフをつかいに・・・

などなど、いろんなことを想像してしまいました。
おかげで最近パフをつかうのが気がひけてしょうがありません。

# by blengins | 2010-01-04 15:17 | sketch
あたいの体はアイスと大福と水でできてるぜ


正月。風邪をひく。
あるいは、高熱がでたのでもしかしたら
インフルエンザ。

熱のある体で自転車に乗ったら
視界がふだんの半分以下のせまさで
穴蔵から暗い世界をのぞき見るようだった。

救急病院は、空気がぐんにゃりしてた。
瀕死のこどもたちが泥人形となって阿鼻叫喚するさまは
さながら『ゾンビ』のラストの
ショッピングセンターそのものじゃん、とへらへら。

とまあ、へらへらするも
私のそのうちのゾンビの一人となって
いったい何時間泥のなかで待ったら診察してもらえるのか・・・
などと考える間もなく目の前に「まず書いて」と
看護士にさしだされた質問事項というのがものすごく細かくて

「いつから具合が悪くなりましたか?」って

厳密にいうと体のふしぶしが痛かったのは3日くらい前からで
たぶんあんま具合よくないのに
銀座いったついでに調子にのって
ゲイ・ファッションのメッカ
銀座アバクロなんかで半裸の男子と記念撮影なんか
ひやかしでしちゃった罰かもしれない・・・
すみません半裸の男子の横で私、半笑いでした。
皆さん本気ですのに。
などと逡巡しはじめたらじょじょに
際限なく暗いきもちになってゆき

「昨夜は熱は何度ありましたか?」

って ねー。うーん 寝てて はかってません。
えーと少なくとも今、38度8分あるんだけど
昨日のことがまったく思い出せないので
てきとうに書いちゃっていいかな
あー でもはかったかもしれないな

などとやってたら突然なにもかもがめんどうになってきて

「こどもたちはほっといたら体小さいから死にかねないけど
 私は大人だから、死なないから、家帰って寝る。」

と言い捨てて、帰って、ひたすら寝ました。

そしてたまに目をさませば、
アイスクリーム(ふだん高くて買わないハーゲンダッツ。
1日2個とか3個とか)と水だけ
摂取して、また寝ました。

そしてときどきまた起きれば、
冷蔵庫をゴソゴソやって、大福をみつけては、
いそいそと食べたりもしました。
そしてまた寝ました。
夫が「大福なら食べられるのか?もっと買ってこようか?」
と聞いてくれば
『大福食べる・・・』
と地獄からはい出していいました。

いつしか大福のためだけに起きるようになった私は
「そういう妖怪みたい」
になっていきました。
たまにやってきては『大福食べる・・・』とだけしゃべる妖怪。

というような日々をひたすら4日間ほどつづけましたら、
治ったもよう。
(正月の仕事、なので1日お休みいただきました。
 職場の皆さまにはご迷惑をおかけしました。)

正真正銘の寝正月。

その間、夫は、見た目はもさいヒゲのおっさんですが
私にとっては大島弓子の『夏の夜の獏』
にでてくる小箱さんのようでありました。
私にはああいう可憐な姿に見えているのですね。
わかりにくい例えです。

そんな2010年のはじまりです。
ほぼ絶食でスタート。
あたいの体はアイスと大福と水でできてるぜ。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

# by blengins | 2010-01-03 12:23 | diary
謹賀新年2010
# by blengins | 2010-01-02 00:00 | sketch
スナックで得意のカラオケを披露するようなもの

こないだ行った鎌倉のステキ写真。
近づいてよく見ると看板が。

料理教室らしい(いや塾!)・・・
1年も、ここで・・・・
勝手に抱いた先生のイメージは、高橋留美子の漫画に出てくる
恐ろしげな風体の三つ子の小さな婆さんたち。
奥の間には口悪く指図する大喰らいの美女がいて・・・
て、そのまま『人魚の森』ですな。

こちらもステキ鎌倉写真。ビニール傘がきいてる。
なにげに店の名前がすごい。
鎌倉、とこどころ雑?
というか、そういうところにばかり目がいってしまう
私と、一緒にいったギャグ漫画家(といっていいのかな)の
友人Cのせいでしょう。

ようやくブログで軽口もたたけるようになってきたのだから
確実に元気になってきたんだと思う。
11月後半から12月半ばにかけては
わかりにくく大変おちこんでいたが、そろそろ抜けた感あり。

毎年楽しみにしている銀色さんの『つれづれノート』最新刊。
娘さんとヒマだし美術館でもいこうか?という話になったときに
銀色さんが「でも美術館にいって作品とかみるのって、
カラオケ好きが人のカラオケ聞いてるようなもんなんだよね」
(うろ覚えです)といってるのを読んで、
ああ、うまいこと言う、さすが! と唸る。

今年、ちいさい規模ながら個展というものを2回やってみて
私が思ったこともそれに近いものだった。
「個展って、スナックで得意のカラオケを
 披露するようなものだなあ」
という、身も蓋もない 笑。

だから、来てくださった友人の方々には、
いっしょにタンバリンもって、
手拍子打ってくれてありがとうね〜!
という、しょうもなくもありがたい気持ちでいっぱいである。

だからこそ、今後個展をやるとしたら、
皆がゆったりするために集うカフェなどでなく
来る客があらかじめ限定されてしまうような特殊な場所の方が
いいかもしれないなあ、とは思っている。
タンバリン持たなくてもいいような場所。

場所と意図。
その二つが大事だな、と。
作品はあくまで、その場と誰かを繋ぐもの。
そういう意味で、最高にかっこいいと思うのは、モノリス。
「モノリス」という意図で
つくられたモノリス的なものが、
皆がくつろぐカフェスペースにあっても困るでしょ?
そういう意味で、特殊な場所。

あるいは、本。
やはり本は、それだけでひとつの凝縮した世界だから。

そんなようなことを考えながら実家に顔をだす。
いきの電車からみる夕焼けの、すごいオレンジ。

家族は、皆明るくあたたかく出迎えてくれたが、
水回りの汚さやゴミの多さ、
洗面手洗い所の異常な電飾の暗さ澱みに
ああ、やはりこの家を照らす女どもの
調子はほんとうによくないんだなあ、と感じる。
大型のテレビばかりが、
ギラギラと明るくけたたましく、いまいましい。
鳥鍋をつくって、買ってきた餅もたくさん食べて、
早々に帰る。

帰りの電車のなかではだいぶ気も重かったけど、
私が心配してもどうにもならないしなあ、と
家に近づいてきたらだいぶ気も楽になってきた。

今年、私にとって大事だったテーマって
「心配するのをやめる」
というものだった。
あと「勝手に思いやりをもって行動しない。
純粋にしたいことだけする」ということ。
私が私として安定して存在していれば、
それだけでいいんだと思う。




# by blengins | 2009-12-29 11:48 | diary
「巣にだけはお金をかけるよね」といわれる


大掃除。
ふとんがボロボロになってきたので
ニトリで安く新しいふとんを買いそろえる。
おかげでこれで年が越せる。
しかし安いだけあって、掛けぶとんは、とても重い。
遠く富士山を眺めつつそれらふとんを干しながら、夫に話す。

「やっぱり安物のふとんは、重いね。
 そして軽くてあたたかいものは、高いんだね。
 私がむかーしバイトしてお金を貯めて
 買ったあの羽ぶとんなんか、
 そりゃあ高かったんだよ。高かったけど、
 どうしても欲しかったから、がんばって買ったの」

それに対し夫。
「君は昔から巣にだけはお金をかけるよね」

そうかも。と思う。
着る物より食べ物よりなにより、私は今まで一番
ふとん(巣)にお金をかけてきかたかも。
そしておそらくはこれからも。
私を守ってくれる親密なあたたかいおふとん。
古いボロボロのタオルケットを、ゴミ袋につっこむ前に
愛おしく嗅いだり、さわったりしながら。


夫のお父さんが入院、そして退院。
検査の結果は良好だそうで、一安心。
慣れない病院生活はヒマであろうと、DSなんか贈ってみる。

おかあさんに「おとうさん、どうですか。DSやってますか」と
電話で聞いたら「ときどきピコピコ、ふとんの中から
音が聞こえるからやってるんじゃないかしら?」と可愛い答え。

その後、夫が直接おとうさんに電話でDSについて聞いたところ
「やってるけど、めんどくさい」
とのこと・・・

その悪気のない率直なふてぶてしい答え方、
おそろしく夫そっくり。
というか、夫がおとうさんそっくりなんだな。
ちなみに顔もそっくり。


職場の女の子たちが『トワイライト』という
バンパイア映画のvol.2を観てきたとのこと。
お弁当の時間、観てきた一人の子に「どうだった?」と聞いたら
「・・・・うんまあ。よかったよ」と気をつかった答え。
よくよく聞いてみると
「十代前半の頃に観てたらすごいハマったと思う」。

「だってね。君を永遠に愛す!とか平気でいうんだよ。
 つきあってもないのに、結婚しよう!とかって。
 もう三十も越えた自分から見たらさあ。
 つっこみどころ満載過ぎて」

「ああ。恋愛に永遠なんて、無いもんね。
 そんなウカツなこといっちゃうなんてそれは
 さかった動物としての言葉だから信用ならないね」

「でしょ。わかってるでしょ。そんなこと。
 結婚とかゆう前にいろいろ踏むべき段階
 もっとあるでしょ、って」

「本当にするときって、もっと地味で
 籍をいれるのはもっと後でもいいし、
 というか別にいれなくても、とか
 そもそも籍をいれる意味は、とかって」

「そうそうそう。現実的に。でもね、
 十代前半だったらハマってた。
 それはわかる。しかしもう・・・(以下略)」

ふたを開けてみれば
しごくまっとうな三十代女性の感想であった。

そのあと、話はなぜかこどもの頃にハマっていた
アニメのグッズや
少女漫画雑誌の景品の話に流れ、

(私はそれらファンシーな景品を
 「こどもだと思いやがってこどもうけを
 ガッツリ狙いやがって」と毛嫌いするいやなこどもだった。
 今もそういうとこ、まったく変わらない)

もう一人の子は
「私はこどもの頃どうしても欲しくて、
 オバケのQ太郎のお風呂セットを親に買ってもらったよ」
「えーQちゃんのお風呂セットってどんなの?
 リンスとかシャンプーとか?」
「プカプカ湯船に浮かべるQちゃんが、いっぱいはいってるの(!)」

なんて、なんかほのぼのするいい話など。
お弁当の時間がこれなんだから、いい職場だと思う。

# by blengins | 2009-12-28 10:38 | diary
煉獄篇


ロメオ・カステリッチ『煉獄篇』を観る。
人は何によって救われるかって、
自分自身に許されることによってしか救われないし、
しかも厳密にはそれは救いにもならない、
ということが描かれていて
あんなすごい作品にかぶせるのはおこがましいが
自分が過去に描いた作品のこととか、ちょっと思い出した。

何も考えずに描きはじめたその作品だったが、
主人公とつきあってくうちに、はたと気づいたのだ。
うわ、こいつ阿呆だからよくわかってないみたいだけど
どうやら育児放棄された家で育ったっぽい。
こいつが今グジグジいってる恋愛の問題って、
根っこはねじくれて愛されたこいつ自身が抱えてる
家族の問題じゃん?
てことは、わかりにくく虐待されてたこいつを、
ひいてはこいつの家族を
あたしは救わないといけないわけか?
あたし自身、まだなんにもわかんなくて
グジグジいってる状態だというのに?

おそらく、似たようなグジグジを抱える人間のところに
主人公の娘は選んでシュッとやってきたのだと思う。
こう書くとオカルトっぽいが、漫画(とくに連載もの)
を描くってそういうかんじだ。

弱い私は担当編集者に泣きついた。
「もうあの子(主人公)とはつきあいたくないんです。
 あの子自身はちゃんとはわかってないけど、
 抱えてるものが本当に重い。
 虐待されてた人間をあたしは
 どうやったら救えるかわかんないです」

当時の担当は、
団扇をあおぎながらゆったりとこういった。
「エツコ。(彼はオネエだったせいなのか
 何なのか担当した女子をみな下の名前で呼んでいた)
 こうなったら、一緒に落ちるとこまで落ちるしかないわね。
 落ち切ったら、あとは上がるしかないんだから。
 がんばんなさい。んね。(ああどこまでもオネエだった彼!)」

担当編集とは、当時の私にとって
真っ暗闇のネーム地獄の世界で見える
たった1本のろうそく、というよりはかそけき線香・・・
みたいな存在だった。
灯火はちいさいが香りはするから傍にいるのはわかる。
だけど、主人公を救う正念場では、
その線香のケムリすら届かない場所へ
潜らないといけない。主人公と、私だけで。

潜るのがこわくてしんどくて、わたしの体は
じんましんだらけになった。
顔じゅうには大粒のニキビがびっしり。
真っ赤にはれあがった体をかいては
泣きながら(ああ本当に弱い)
ネームをつづけた。折しもあれは9.11があった頃で、
人がたくさんいっぺんに死んだからだろうか、
世相のせいもあっただろうか(少年犯罪
その他の嫌な事件も本当に日々多かった)、
あの時期の夜はとても暗かった。
そしていよいよ最終〆切も過ぎて、
もうダメだ、もうダメだ、と
胃がギリギリ悲鳴をあげていたとき、ふっと気づいた。

この子がやっていることは、
かつて親に捨てられた自分を
また自分自身で捨てるようなことだ。
だけどこの子(主人公)のなかにいる
捨てられた子どもは、今のこの子を許すだろう。
しかし許されるためには、許しを請わないといけない。
そうして許されたとき、はじめて彼女は
内なる子どもを取り戻せるだろう。

瞬間、これだ!!と思った。これしかないと。
じゃあ、それをどうやったら
わかりやすく漫画で伝えられるか。
あとは、翻訳作業だった。わりあいこれはスラスラいった。
しかし、そのあとが気がぬけてダメだった。
最終的に私はそれを、調子のいいハッピーエンドに
してしまったのである。ああ。これは今でも悔やまれる。
でも当時の私はそれがいいと思ったのだ。しょうがない。

だからこそ、あんな巨匠をつかまえて
アンタ、という話なのだが
カステリッチ監督はセンスいいなあ、
病みに病んでいてほんとうに清々しい、と思うのだ。
だって彼は、人を救わないから。
ただ人の苦悩や地獄を、現象として畏敬をもって見ている。
私もそういう、人というものをじっとただ見て描ける
強さと体力がほしい。

だって、あんな大変な地獄ばっかつくってて
本人が潰れてしまわないのが凄い。
人間としての体力も相当あるはず。
私なんか1本の連載であっけなく
潰れた漫画家だったのに。
この世に存在する、モノをつくりつづける作家は
みんな凄いです。

なんかこういう、やたら本人だけが
深刻で真剣な青臭いものを
書きそうだったもので最近ブログ書いてなかったのだが、
そこをせきとめてしまうと、
私なにも書くことがない、ということが
わかってしまったので、やはり書いておいた。
お熱いうちにどうぞ、と。

# by blengins | 2009-12-24 02:06
Divine ComedyーINFERNOー


ロメオ・カステリッチ演出/ダンテ『神曲ー地獄篇』を観る。
http://festival-tokyo.jp/program/inferno/

まず最初に本物のシェパードが壇上に何匹もあらわれた時点で
度肝をぬかれる。あたりをおおいつくす生臭い獣の匂い。
調教師たちによって一応それぞれ鎖につながれながらも、
狂ったように吠えつづける犬たち。

突如、監督がおすもうさんの肉襦袢のようなものを
体にまといだす。
あ、まさか、と思う間もなく、舞台左から
別のシェパードが一目散に監督めがけて走りこみ、
めいいっぱい肉襦袢に噛み付く。
さらにもう1匹、あとからさらにもう1匹。
のたうち回る監督。監督に噛み付いて放さない犬たち。
ワンワンワンワンワンワンワンワン
壇上のシェパードたちはなおも
何かを恐れるように吠えつづける。

やあ、しょっぱなから手に汗握った。
一番前の席だったもので
(ものすごい気合いで、いい席とりましたのよ)
人間ではない動物の生々しい息づかい、
かれらの凄まじく鋭い目といい、マジでこわかったっす。

http://www.youtube.com/watch?v=LOv3QsyJG2I&feature=related

この映像でも一瞬流れる、会場一体をおおう白い布、
そこから見える乳白色の荘厳な光も体感できました。
死ぬ瞬間て、こういうものが見えるんじゃないかなあ、なんて
ふと思ったほど。

http://www.youtube.com/watch?v=6-vKStslwzM&feature=related

デイヴィッド・リンチ、マシュー・バーニー、
エイフェックス・ツイン、飴屋法水等
お好きな方ならおそらく好きでありましょう。

心臓を素手でさわられるような感触の、
体の芯のほうがおもしろいと感じた舞台だったのだけど、
さらに濃いことには終演後、
カステリッチ監督と飴屋法水監督のトークショーまで観覧。

飴屋さん。
こないだからなにかと飴屋さんづいてますが、
ほんとおもしろくて正直で切実で、
着てるコートなんかまるで吉野朔実の漫画の登場人物が着てる
すてきなコートみたいだし(?)、
というか世界でもグレン・グールドの次に
「いついかなるときもコート着用」がおそろしく自然な人だし、
虚構や現実の違いがわからないと言ってたことなど、
なにかといろいろ共感できる感じでした。

とくに面白かったのは、二人の同年齢の劇作家が、
まるで何かの符号のように、キーパーソンとして
アンディ・ウォーホールを舞台に登場させていたことが
判明したくだり。

カステリッチ監督は、アンディ・ウォーホールについて
こう話していました。

「彼は既存の概念をひっくりかえす、悪魔的存在でした。
 なんでもない退屈であるはずの物を、
 彼はアートに転じさせたのです。
 白を黒に転ずる者。哲学者、といっていいと思います。
 私は彼を現実と虚構の狭間の水先案内人、
 ルシファーとして、舞台に登場させました」

一方で飴屋氏。

「80年代はじめか70年代終りかに、日本のCMに
 アンディ・ウォーホールが出演していた時期がありました。
 ビデオテープだか何だかのCMだったと思うんですけど、
 その中でウォーホールは光の3原色を
 日本語でしゃべっていました。
 『アカ、アオ、キ』と、ここまではわかるんです。
 実際のウォーホールは、何故かそのあとに
 『群青色』と付けるんです。で、最後に『キレイ』と。
 このCMは、広く日本のお茶の間で
 くりかえしくりかえし流れました。
 僕はその『群青色』がやけに気になって、
 いろいろまあ、調べたんですね。
 何故ウォーホールは『群青色』をわざわざ付けたのか。
 彼について調べるうちに、彼がすごく読みこんでいたという
 1冊の本に出会いました。それは『チベット死者の書』という
 チベット仏教や哲学に関する書でした。
 その中に、群青色というのは人が死ぬ瞬間に見える色であると
 書かれていたんですね。僕はこれは、偶然ではないと思った。
 おそらく群青色が死の色であるということを、ウォーホールは
 知っていたのだと思います。
 知っていて、死の色である『群青色』というメッセージを、
 ブラウン管からくりかえしくりかえし流れるよう、
 彼はその言葉を付け足した。
 僕はこのときのCMに使われた彼の声を、
 くりかえしくりかえし舞台で流しました。
 悪魔的である。ひじょうにそれは、わかります」

なんともおそろしく面白い話ではないですか。

他にも、お互い動物がなぜこんなに好きなのかという話とか
(飴屋氏は子どもの頃からあまりに動物が好きで、
 動物的な俯瞰の視点から人も見てしまうのらしい。
 ゆえに思春期にはいったときには
 「なるほど。これが発情期」とか
 タラコを見ても「人とはタラコみたいなもの。
 でもタラコの粒でもそれぞれ少しずつ違いはある」
 などと思っていたし今もそうであるとのこと。)
「現実」ってその瞬間から粉々になってゆくもの、
そう感じるのは自分が病んでるせいかもしれないけど、
などの話とか、やはり濃い人どうしの相乗効果で
大変スリリングかつつっこんだ話が聞けて、
たいへん面白かった。

さて、そうして来週はひきつづき
カステリッチ監督の『煉獄篇』である。
ものすごい楽しみなのである。
ひょっとするとDVDも買うつもりなのである。
あー、オタクってつくづく楽しいなあ。

# by blengins | 2009-12-14 21:08 | watching art
羊歯の森のめくらぶどうとギター女


イラストレーターおよび写真家の登竜門として有名な
公募展『ひとつぼ展』あらため
『1_WALL』に先日、応募しました。

結果は、1次審査通過。
2次審査にて、5人の審査員それぞれに対し
30〜40cmの至近距離で
プレゼンをする機会を得ましたが、
最終の6人までは残れず、落選となりました。

そんな中、ひととおりどの審査員からもいわれた言葉は
「おもしろい」というものでした。
あきらかに作品に興味のない人も、
ものすごく興味をもってキラキラした目で作品を眺める人も、
デザイナーも美術家もイラストレーターも、
どの方もひとまずは「おもしろい」と。

それにしても、お金のためには
こんなハードでめんどくさい公募の審査なんか
できないよなー、とは、しみじみ。
人を育てる、とか繋げる、とかそういう
「きれいごと」だけで済まされない本気のきもちが
あるからこういうことをするのだなあ、と
ひしひしと感じました。

それぐらい、ただでさえハードな日々を送っていそうな
審査員の方々を、つい心配したくなってしまうほどの
怒濤の2次審査ではありました。

そんな怒濤、もちろんすごくおもしろかったです。

また自分で「好きなんじゃー」
「そういうワシも好きなんじゃー(誰?)」と思えるような
作品をつくった暁には、どうしようかな。
きっとどこかには見せにいくと思います。
まだわかりません。

以下が、出品作品。(上の画像クリックでも見れますが)
まだまだ今後も絵物語はつづきます。

# by blengins | 2009-12-14 16:52 | work
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